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2006年12月04日

角館の“哲学の道”

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 市議会だより(平成18年11月1日号)をつらつらと見ていて、9月定例議会での一般質問の中に「岩瀬・北野線の“横町〜小館間”の工事」についての質疑応答の記述を見つけた。(こちらのページの一番下の段。PDFファイルです。)

 市議会議員から質問を受けて、市長が「一番むずかしい工区であるが、小館〜岩瀬工区完了後、地元住民と話し合いをして調査、事業化にむけて進めていきたいと考えている。」と答えたとあった。

 やめたんじゃなかったのね...

 
 この区間のことついては、2年前に「徒然なるままに...」に書いたことがありますが、もう一度これを機会にこのブログに転載したいと思います。

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§角館の“哲学の道”§


 以前から、桧木内川沿いに作られた新しい道路(北野線)が内川橋のところまで伸びるというウワサは聞いていた。だけれども、横町橋の所でずっと止まっていたので、それはデマだったのかなと思っていたのだが、合併協議会のサイトを見ていて、平成18年度までには工事する事を知った...

 京都に“哲学の道”という道がある。 東山の山裾を南北に流れる琵琶湖疎水の水路に沿って、北は銀閣寺から、南は紅葉で有名な永観堂のあたりまで続く1.5kmほどの道である。哲学者の西田幾多郎が思索をしながら好んで散策したところから哲学の道と呼ばれるようになったそうだ。舗装もされていない細い道だが、水路脇に植えられた並木はほどよい木陰をつくり、水面には魚影も見る事のできる気持のよい散策路となっており、道の東側の東山の懐には、浄土宗の開祖法然上人ゆかりの法然院や、安楽寺などいくつかの寺が点在している。 (京都・哲学の道案内さんで美しい写真を見る事ができます)
 法然院や、ちょっと西にある真如堂などは私の好きな寺で、何度か訪れた事があるが、いつも先ず銀閣寺に行き、そこから哲学の道を歩いて南下し目的地の寺へ向かう。

 もちろん、お寺を訪れるのが目的なのだが、直接目的地に行かずに哲学の道をさながら参道のように歩いて向かうのは、この道をブラブラと歩く事も愉しみの一つになっているからのように思う。
 さて、かつて哲学者が思索に訪れ、今尚観光客がここを訪れる理由がその落ち着いた風情にある事は言うまでもないが、その風情は“車が入ってこない”という背景によって支えられている。思索に耽りながらうつむいて歩いていても事故に合う心配はないし、恋人や、夫婦が肩をならべて歩いていても車を避ける必要もなければ、車の音で会話が遮られる事もない。また、この道には車が入ってこないばかりでなく、近くに車の気配をあまり感じない。 東側は直ぐに山(東山)であり、西側は住宅地で交通量の多い通りまでは距離がある。
 考えてみると、今の日本に車の存在を感じない道がどれだけあるだろうか? 山中に入ればあるだろうが、人の暮す町のそばで車の存在を感じずにゆったりと歩ける道は、現代においては貴重なものだろう。

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 (桜吹雪の中、引率の先生に連れられて横町橋の方へ向かう小学生達)


 私は、桧木内川の土手は、「角館の哲学の道」と呼ぶべきとても良い散策路だと思っている。
 偶然だが、ちょうど哲学の道と同じように南北に長く、東側には水路が流れている。こちらは巨木ではあるが桜並木が四季折々の姿を見せてくれる。お寺があるところも似ている。西側に川(桧木内川)が流れているところは異なるが、哲学の道に於ける東山の様に車の存在から道を隔てる役目を果たしてくれている。
 北野線が延長されて、この土手の脇に道路が通ったら、この風情は失われてしまうだろう。好きな角館の景色が消えるのはなんとも残念だし、貴重な環境が失われるのはもったいない気がする。
 観光客倍増を目指して、新たな観光資源の掘り起こしをしようとしている新市にとっても、魅力ある角館らしい風景を失う事はマイナスなのではないだろうか?


 (以前、この近辺で撮影した写真を掲載したアルバムへ “角館の春”、“角館の夏”、“角館の秋”) 

~~~~~~~~~~~ 2004/10/31記す

投稿者 taguchi : 2006年12月04日 07:17