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2005年04月 アーカイブ

2005年04月04日

4月になりました

 4月になりました。
 新年度です。学校は新学期ですね。

 武家屋敷のライブカメラで見る景色もすっかり春です。今年は、3月半ばになっても雪が降る長い冬で、いつになったら春が来るんだろう、今年は来ないんじゃないか、なんて心配していましたが、ちゃんと来てくれるもんですね。春は。

 さて、三町村の合併が県に申請され、三町村は合併し、9/20から仙北市になる事になりました。
 3月中は連日、新聞のネット版に角館の合併関連の記事が載っていましたが、合併の手続が完了した途端パタッと止みました。毎日チェックして、掲示板に載せていたので、なんか寂しいです。
 
 合併して仙北市になりますが、このサイトは“ふるさと仙北市”に変わったりはしません。“ふるさと角館”のままです。だって、俺の故郷は“角館”ですから。いままでと、なにも変わらない『かくだてのサイト』です。
 
 結局、去年の5月に“徒然なるままに...”のコーナーで書いた『“”と、“まち”』の時点に戻った感じがします。“まち”という言葉には2種類意味があって、それは自治体としての“”と、おらほの“まち”といった場合のまちだ。そして、自治体としての“”は合併しても、おらほの“まち”は、何も変わらないということを書きました。

 自治体が合併しても、角館の山河はなにも変わることなく、ここに在ります。
 季節は、地上の人間たちの喧騒など、気にも留めずに超然としてめぐっています。長かった冬も終わり、また今年も春が来て、武家屋敷や、桧木内川の土手に美しい桜の花を見せてくれるでしょう。

 角館の山河も、歴史ある角館の町並みも、角館衆の“まち”への想いも何も変わることなくここにあります。

2005年04月15日

ヨハネ・パウロ二世が亡くなられました

 在位期間は、史上3番目に長い26年間だったそうです。ローマ法王になられたのが1978年10月16日。私が、高校生の時でした。

 先代の法王ヨハネ・パウロ一世は、在位後わずか33日間で亡くなれたことや、ヨハネ・パウロニ世がポーランド出身だったという事もあって当時結構話題になりました。

 世界史の時間に、坪○先生が「先代のヨハネ・パウロ一世は、聖者ヨハネと、聖者パウロを合わせたありがたい名前だから、なんぼ長生きするかと思ったが直ぐに亡くなられてしまった。今度のヨハネ・パウロ二世はなんたもんだか...」といったような話をされていたのを印象深く覚えています。

 坪○先生お元気でしょうか。


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(写真は、コンクラーベが行われるシスティーナ礼拝堂。ミケランジェロの絵で覆われている。
 もし宜しければ、こちらもどうぞ。 “冬のイタリア紀行”

2005年04月17日

やるなぁ、角館町議会

 先週の金曜日(4/8)のさきがけ新聞のネット版に、角館町議会が給与・報酬削減を決めた事が載っていました。

 町長、議長、議員の給与・報酬を30%カットするとの事。

 合併すれば財政的に一安心と思っていた人も多いと思います。私もそう思っていました。町議会のこの決定は、そんなぬるい気持を吹き飛ばしてくれました。
 合併しても財政は厳しい。合併しても行財政改革を進める努力を継続していかなければらならない。そう言っているような気がします。

 この削減によって、合併する3町村の中で角館町の給与・報酬が一番少なくなったものと思います。今回の削減は、合併後の仙北市の市長、議長、議員の給与・報酬に大きな影響を及ぼすでしょう。そして、仙北市の職員の給与にも少なからぬ影響を与えるものと思います。

 議員の意向を優先し、住民の意向を軽んずる自治体もある中、これから行財政改革を進めて行くに当たって、先ず自らの襟をビシッと正して見せた今回の角館町議会の決定に私は大きな拍手を送ります。

 「やるなぁ、角館町議会」 「さすがは角館だ!」

2005年04月19日

角館としての最後の桜?

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 今朝、フジテレビの“とくダネ!”という番組で、みちのく三大桜の一つとして「北上」、「弘前」と共に、「角館」の桜が紹介された。

 その中で、「9月に合併をひかえているので、角館としては最後の桜となりますが、『角館の桜』は天然記念物なので、合併しても『角館の桜』だそうです。」と言っていた。
 
 俺は、朝飯のパンをほおばりながら「何言ってんだ。合併しようがしまいが、角館の桜は、角館の桜だろう。仙北市の桜なんて言うわけないだろう。」と心の中でつぶやいた。

 私の頭の中では、“自治体としての町”と、“おらほのまち”は別物だから、自治体が合併しても“まち”はそのまんまだ。今だって、白岩は、独自の歴史と文化を持った“まち”で、角館と白岩は別の“まち”という感覚だ(だから、白岩焼きを角館焼きと呼ぶのにはとても違和感を感じる)。
 なので、角館の桜は、これからも角館の桜だし、角館のお祭りは、角館のお祭りなのはあたりまえだと思っていた。
 
 だけれども、この番組での紹介のし方を聞いて、世間では必ずしもそうは見てくれないのかなと、ちょっと心配になった。
 もしかすると、来春はみちのく三大桜を紹介するときに「北上」、「弘前」、「仙北市」と紹介されるんだろうか?
 
 今年も東京駅の壁には、「角館」と大きく書かれた桜のポスターがそこかしこに貼られている。このJR東日本の観光ポスターに書かれる名称は来年以降も「角館」のままだと思う。JRの駅名は「角館」のままだし、「仙北市」と書いたところで宣伝効果は期待できないから。
 でも、今朝の番組がそうだったが、テレビなどで地図を示して紹介する場合は「仙北市」と紹介される事はあるような気がする。

 都市に住む人間は、地方に住む人間に比べると、住んでいる町についての思い入れが驚くほどない。自分自身が他所から引っ越して来たという場合も多いし、町に個性がないとか、人口が多いとかいろんな理由があるんだろうが、とにかくあっさりしている。
 だから、角館の人が、合併しても角館は角館のままと思っていても、他所の人からは「角館はなくなって、仙北市になったんだよね」と、サラッとした意識で捉えられているかもしれない。


 今回、フジテレビの担当者は、角館町の観光課に電話して話を聞いたと思うんだけど、たぶん向こうから「合併するから、今年が角館としての最後の桜ですよね」とか聞いたんだろう。
 そのとき役場の職員は、合併しても『角館の桜』と呼ぶ理由を『角館の桜』という名称で天然記念物に登録されているから、と説明したのだろうか。まぁ、電話の話の流れの中で、そういう話をちょっとしただけかもしれないが、もう少し角館の“まち”を強く意識してほしかったなぁと思う。

 「自治体は合併しますけれど、歴史ある角館の町は以前と変わりありませんので、来年以降も『角館の桜』は『角館の桜』でございます。」と答えて欲しかったな。

 これは、おそらく町に住んでいる人の自然な感覚ではないだろうか?
 
 でも、メディアにどう答えるかは、たぶん職員の一存では決められないんだろう。「合併したのに、角館の桜と言うのは他町村の手前ちょっと問題があるかもしれない」という意識が働くかもしれない。
 ここら辺の扱いは、議会と、行政できちんと整理した方がいいのではないだろうか。


 来年からテレビ局などのメディアが、桜や、お祭りなどの情報を得るため連絡する連絡先は、角館町の観光課ではなく、仙北市の観光課になる。仙北市の観光課の職員は「仙北市の桜の見頃はいつ頃ですか?」と聞かれたらどう答えるのだろうか?
(以前、合併協議会で、観光協会も合併すべきじゃないかという話が出ていたが、このようなことを考えると観光協会を一つにするのはよくないと思う。)

 町の人が思うよりも、外の人は角館町はなくなって仙北市になったという意識で接してくる事が多いのかもしれない。
 ここまで育てた「角館」という名前の価値を守り、より大きく育てるために、いままでよりも意識的に扱う必要があるように思う。これは、「田沢湖」にも同じことが言えるだろう。(「仙北市の温泉」とか、「仙北市のスキー場」なんて言われたくないよね)

 合併したからと言って、各地域を偏りなく平等に扱わなければならないと思うあまり、それぞれのまちが育ててきた財産を失う事にならないよう願いたい。

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