・20年の間に曳山を出す丁内が3つ増えて、18丁内になった。全ての丁内名を言ってみろといわれても言えそうにない。
・お祭りのファッションが変わった。
ダボシャツがすっかり定着したようだ。20年前はダボシャツなんて着ている人はいなかった。昔は前掛けの下は裸だった。サラシを巻いている人はいた。寒いとTシャツを下に着込んだりしてた。Tシャツよりはダボシャツの方が和的で、伝統的な雰囲気があるからダボシャツはよしとしよう。
・首から木札を下げたり、若い女性が髪を結い上げて、捻りハジマキをちょこんとのっけるファッションは他の地域の祭りの影響か。
・出店(でみせ)が減った。
昔は、道路に白いペンキで出店の場所を示す番号が書かれたのを見て、いよいよお祭りだなぁと思ったもんだ。
・それから、曳山を曳きながら携帯電話で話をしている風景にはさすがに違和感を感じたなぁ。まぁ、確かに友達と連絡とったりするのには便利だと思うんだが、着メロが鳴ったら興ざめだ。せめてマナーモードにしよう。
・なんと呼んでいるのかわからないが、ユティリティ車とでもいうべき台車が曳山の後ろをついて歩くアイデアには感心させられた。その昔、頼まれて夜中に友達といっしょにおにぎりだったか、枝豆だかったかを遠くまで取りに行ったのを思い出した。台車があれば確かに便利だ。
・どこの曳山だか忘れたが、曳山が休憩した跡を子供達が箒で掃除している丁内があった。確かに曳山が休憩した跡は、ゴミが散らかる。自分達が散らかしたものは自分達で片付ける。すばらしい。拍手。

・道路が広くなった。
道幅が拡張された立町や、横町でやまぶつけが行われたが、やまぶつけが一段落して見物人がいなくなると、なにかガランとした感じがした。道が広すぎると感じた。確かに郵便局前の三つ角などは狭くて、見通しが悪く、車で通るには不便だったが、あれでは広げすぎだ。街には、その街に見合った適切なサイズの道幅があると思う。道幅も街の風情をかもし出す重要な要素だ。角館には曳山が2台すれ違える程度の道幅が似つかわしい。
・曳山の帰りが早くなった。
昔は夜が明けるまでやまぶつけをしていたが、警察からのお達しで早く帰るようにといわれているとのこと。「X時を過ぎたらやまぶつけを開始してはいけない」とか。聞くところによると、このことが毎年のお祭り前の話題になっているらしい。洩れ伝わってくる程度のことしか知らないが、なにか町民と、警察がせめぎあっているような印象を受ける。
時間を早く切り上げることにどんな効果があるのだろうか?物流上の問題だろうか?魚屋さんや、八百屋さん、新聞屋さんが困るのだろうか? 町民側の事情ならいくらでもやりようはありそうだ。
それとも、そんなに長時間交通規制や、見回りはできませんという警察側の事情によるものなのだろうか?
・まぁ、お巡りさんも気の毒ではある。実家のそばの十字路にも交通規制のお巡りさん立っているのだが、町の外れだからめったに人は来ない。そんなところに雨が降ろうが、寒かろうが、眠いのを我慢しながらポツンと一人で立っていなければならないんだから。ときたま誰か通りかかっても何も言わずに通り過ぎるだけし。おまけに酔っ払ってるし。せめてそばを通るとき「お疲れさまです」と一声掛けてあげたらどうか。交通規制のお巡りさんが立っている丁内は、曳山の若者にだけでなくお巡りさんにもおにぎりや、熱いコーヒーを差し入れてあげたらどうだろうか。彼らが車を遮断してくれているおかげでお祭りの舞台が保たれているのだから。仕事とはいえお祭りの土台を見えないところで支えてくれている彼らに対してもう少し感謝の気持ちがあってもいいのではないかと思った。
・20年経っても曳山は変わっていなかった。バッテリーを積んで、電灯でピカピカにして、自分の知っている曳山とは違うものになっているんじゃないかと心配していたが、いくつかの曳山で人形のライトアップに使っている程度だった。ホッとした。お祭りはなるべく近代的なものを利用しないのがいい。
・20年という時をスキップしてお祭りに接した者の目には、お祭りにも角館の外の文化や、日常生活の変化が少しずつ入り込んできていると写った。 しかし、20年という月日を経てなお、お祭りの本質はなんら変わっていなかった。
平成十五年九月